日本国内に広がったのは漠然とした「日本の時代が来る」という期待だった。
それはたとえば、次の覇権国家は日本だという議論が一部で流行りになっていたことからも垣間見ることができるだろう。
もちろん、それは軍事力と政治力を行使する気のない国家にとっては根拠なき空しい夢想であり、経済のユーフォリァを加速しただけにすぎなかった。
こうした「勝利」からくるユーフォリアは、九○年代のアメリカにおいても見られた。
ただし、アメリカの場合は現実に旧ソ連との冷戦に勝利していたから、実質的にも「ライオンズ・シェア」(勝利者の取り分とを手にする)ことができた。
アメリカは九○年代前半、財政緊縮かつ金融緩和という微妙で危うい経済政策上の選択をしたにもかかわらず、九○年代半ばからの急速な成長路線に接続することが出来た。
Bさんはこれを「ラック(幸運)」と呼んだが、この時期のアメリカには冷戦に勝ったという高揚感があり、旧社会主義圏への進出というライオンの取り分があったことは考慮に入れていない。
さらに、ライバルとされた日本経済の急速な後退も、アメリカ経済にとっては、明るい材料だったという点についても言及していない。
経済学者はここまで方法論的に禁欲的だという見本だが、私たちは視野を広げてもよいだろう。
アメリカは勝ったという感覚は、九○年代前半のアメリカの国民心理であり、こうした感覚があったからこそ、九六年以降の株価急上昇も、当然のことと受け止められたのである。
そしてまた、経済理論においてもアメリカの「勝利」を前提とするものに様変わりしていった。
たとえば国際収支の経常赤字は、八○年代にはアメリカ経済の衰退を表すものとされ、連邦準備制度理事会のP議長も、議会で「要するにアメリカ人は稼ぐ以上に消費しているということだ」と述べていた。
ところが、九○年代になると、経常収支の赤字と裏腹の関係にある資本収支の黒字が大きいことをもって、「アメリカの経済が魅力的なので、世界中から資金を招き寄せている」という話になってしまったのである。
それは経済学の教科書にも反映していった。
もちろん、アメリカのモノづくりが次第に衰退していることも、金融と情報へのシフトは世界最先端の経済であるから当然だということになり、証券化やデリバティブに依存する危うい金融も、理想的な経済として持て雌きれることになった。
こうした現象は、いまから見れば、長期にわたるアメリカのユーフォリアだったことが明らかだろう。
そこには冷戦の勝利という「根拠」はあった。
しかし、その合理的な意味を超えて、「根拠」のない物語を生み出すところに熱狂の恐ろしさがある。
いたるところで、新しい知識が賢しげに披露されていた。
「繁栄が衰退に向かっているって?だって君、まだ始まったばかりじゃないか」。
「アメリカに対して買い方に回れよ」
「合衆国を空売りするなよ」
こうした株価のなかには、一、二年も経ったら、こうしたユーフォリアは、もちろん大恐慌前のアメリカにも蔓延していた。
第一次大戦の戦場とならなかったアメリカは、多くの戦時物資をヨ−ロッパに輸出しただけでなく、巨大な資金をも供給することになり、世界最大の債権国へと変貌していった。
第一次世界大戦前、ようやくT銀行である連邦準備制度を立ち上げて、金融においても世界の中心地へと変容しつつあったニューヨークは、戦後には異様な熱気に包まれていた。
アメリカは永遠に栄えるという妄想の充満である。
一九世紀後半以降のアメリカには、自分たちが神に選ばれた国民であるという漠然とした信仰心も文化の深層に存在していたから、「永遠の繁栄」が現実を動かす物語になるのに障害はなかった。
一九二九年の熱狂を、当時の編集者Fさんが書いている。
今度こそ「新しい時代」が到来した二○○一年に崩壊したITバブルの最中に、人々が描いたニューエコノミーという観念も同じようなものだった。
ニューヨーク証券取引所のダウが一万ドルを超えてしまうと、それは異常な数値だとは考えなくなり、「ITがついに経済の景気循環を消滅させた」と論じて、新しい経済(ニューエコノミー)が生まれたと主張する経済学者が続出した。
『ビジネス・ウィーク』二○○○年一月三十一日号は「アメリカがハイテクで急速に経済成長することが可能であることを示したからには、ニューエコノミーに抗うことのできる国はもう存在しないだろう」と論じた。
投機の危険性については、ニュージャージー州の前知事Sさんが雄弁に語ったように、コロンブスもワシントンもエジソンもみな投機家だった、といわれて、人びとはうまく丸めこまれていた。
ここまで高揚したITバブルは、この二○○○年春に生じたナスダックの下落と、同年秋に起こったインテルショックによって株価が急落し、翌年一月には株式市場の崩壊が明らかになった。
同年九月十一日の同時多発テロは、さらに株価を下落きせていったが、金融緩和と財政政策によって株価が上昇に転じると、台頭したのは「死と再生」の神話だった。
アメリカには大恐慌を扱った文学や映画は多いが、そこにしばしば見られるのが、いったんは死を迎えたアメリカという国が、苦難のすえに経済を立て直して、再生を果すというモチーフだ。
これは宗教学者Mさんの言葉をまつまでもなく、世界中の通過儀礼にみられる「死と再生」の神話の通俗版にほかならない。
アメリカ版の「死と再生」は、そのほとんどがキリストの「受難と復活」と重ね合わせられていることは、すぐに気がつくだろう。
ITバブル崩壊と九・二以後に見られた典型的警告」と銘打った特集を組んで、アメリカ型のビジネスが世界を制覇しただけでなく、アメリカ的生活も世界を覆ったとして、最後を次のように締めくくっていた。
「ここに新しい世紀へのメッセ‐ジがある、アメリカを憎む者は自分自身を憎むことになる」。
Sさんはバブルを生み出す根源には、その経済と戦争と物語をむすびつけるのは、無理筋だと思う人がいるだろう。
しかし、そんなことをいっているのは、能天気な日本人だけかもしれないのだ。
事実、二○○三年にイラク戦争が始まる前、M社のアナリストであるVさんは、おそらくは進行中の住宅バブルの崩壊を予測しながら、アメリカの経済を救うのはもはや政治的ショックだと論じて、次のように断じたものだった。
「ここらで、中東における勝利がひとつ欲しいところだ」。
「死と再生」のドラマは、映画『トレードセンター』を見れば歴然としていて、キリストのイメージまで登場する。
この「死と再生」のモチーフこそ、ITバブル崩壊から復活しただけでなく、住宅バブルを拡大し、さらには、B政権が幼児的全能感に囚われて、合理的な判断を排除してイラク戦争に突入することになる最大の「物語」だったと私は考えている。
Sさんは時代に蔓延する「物語」があると指摘していた。
しかし、Sさんの議論には奇妙なところも存在する。
Sさんは『根拠なき熱狂第二版』で、アメリカの住宅バブルは、住宅が住む家ではなくなり、投機の対象となったことから全国規模のバブルに膨らんだと論じていた。
つまり、住宅という土地に縛り付けられた商品から、その所有権だけが取引される投機対象となる商品へと変容してしまったからだというわけだ。
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